発信者未満

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卒業論文提出

 人が歴史好きになる経緯はそれぞれである。現在第一線で活躍している日本史研究者の場合、たいてい司馬遼太郎をはじめとする歴史小説を読んだことか、大河ドラマのような映像作品に触れたことで日本史の魅力に触れ、ついには研究者になってしまったようなケースが多い。
 だが近年、メディアの多様化に伴い、日本史への入り口も様々なものとなっている。特にここ10年で大きなシェアを誇るようになったのが、ゲームとアニメだろう。私も「戦国無双」シリーズで日本史が好きになったクチなので、その中の一人である。だが前者、とくに歴史小説から日本史に入った人たちとは大きな違いがある。読書経験の欠落だ。
 いやまあ、私も本を読まないわけではないんだけれども、幼い時分に「好きな歴史に触れている時間」が、活字か否かというのは大きな差があると思うんですよ。何が言いたいのかというと、卒業論文を書くのがとても大変だったということです。
 3年の夏にはテーマを三好氏にすることは決めてたんですが、結局本格的な論理構成が決定したのは4年の10月を過ぎてからだった。なにが邪魔をしたかといえば、やはり長い文章が読めないという点にあるのかもしれない。140文字に脳が最適化されているせいで、何行か文字を追っただけで、すぐに集中力が途切れてしまうのである。このブログですら、何度も休憩しながら書いている。
 そんなわけだから、当然「追い詰められた者の文学」を書く羽目になるのか、と思っていたのだが、全くその気にならない。おそらく受験期と違って、文章を書きあげることが目標だからだろう。それに、目の前の課題が卒論だけ、というのは一つの事に集中すればいいだけなのでかなり楽である。
 こうして書き上げてみてひしひしと感じるのは、文系あるある「謎のアンケートで卒論」への怒りである。毎年授業をテキトーにとってはいくつか落とすことを繰り返していた私は、4年の秋になっても座学の授業(社会学系)を履修しているのだが、社会学系学生が授業時間を借りてアンケートへの協力をお願いすることがまぁウゼェんだわ。「オシ活」の経験だの、「インターネット利用に関する質問」だの、無償でなぜ他人の卒論作成に貢献しなければならないのか。図書館にこもって史料や先行研究とにらめっこしていれば何とかなる文献史学と違って、地べたを這いずり回ってデータを取る社会学に対して私は一定の敬意を払っている。それゆえに、テキトーなアンケートで済ませようとする指定校推薦顔の学生には殺意しか覚えない。インスタとかツイッターで協力を依頼するのは論外。
 そもそも、卒論協力を依頼するなら出来上がった卒業論文を協力者全員に配布しろよ。自分が提供したデータがどういう風に論文に生かされたのか、われわれには知る権利がある。まあ、アンケートのQRコードが配布され始めた瞬間に私は教室から退去するので、その権利はないんですが……
 話がそれた。そうそう、集中力の話だったね。語るに落ちるとはこのこと(このこと?)。ブログですらこの体たらくなんだから、卒業論文なんてもってのほか。その性格を承知してはいるので、いわゆる「大学生」的な生活は捨てて、朝8時半の図書館開館時間に間に合うように起床し、そのまま12時間くらい図書館に籠っていた。むろん、ずっと卒論をしているわけではなく、授業に出たり、寝たり、おやつをたべたりしていたのだが、机にずっとかじりつくという受験期以来の戦法は、今回もなんとかうまくいったようである。もしかしたら、一生こんな感じかもしれない。非効率的な業務で残業代を稼ぐ高度経済成長期のサラリーマンみたい。
 そうはいったものの、完成した論文の内容にはそこそこ自身がある。口述試験でどれだけ教授に殴られるか今から戦々恐々としているが、そう悪いことにはなるまい。これが数少ない成功体験に加えられることを、願っていません。願えよ田所