発信者未満

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大阪は序章に過ぎないんだよ

享禄51532)年、6月。細川晴元政権下における、三好元長と木沢長政の対立は臨界点に達し、木沢長政の居城、河内飯盛山城は三好元長・畠山義尭(長政の元主君)連合の軍勢によって包囲された。細川晴元は長政救援の兵を送るが、包囲を解くことは叶わなかった。追い詰められた晴元・長政は、山科本願寺一向一揆の蜂起を要請。集結した総勢3万の一揆軍は連合軍の背後を襲撃し、壊滅させた。義尭は南河内で自害し、元長は和泉の顕本寺に逃走したが、一揆軍に包囲され自害した。



時は流れ、令和32021)年9月、成年皇族となった私は大阪府大東市四條畷市にまたがる飯盛山に訪れていた。畿内の要所に位置し、前述の戦いの現場となった飯盛山城の跡地を、何度も何度も踏みしめたいと考えていたからである。学研都市線、というカッチョいい名前の路線に乗り、四條畷駅で下車。DSC_2173

 あの四條畷の戦いが行われたことで有名な地である。駅から出ると、目的地の飯盛山は眼前にそびえている。DSC_2174

 がぜん気分は急上昇、まずはふもとの四條畷神社を目指して歩く。



さて、私は虫が大の苦手である。昆虫の画像も触れることができない。それを知った知り合いが昆虫図鑑を広げて追いかけてきた時、本気でそいつにパンチをしてしまったレベルである。そんな私にとって、飯盛山までの数百メートルの道程には既に不穏な空気が漂い始めていた。なんかここ、トンボ多くないか?9月だから当然ではあるんだけど。20mごとに5.6匹は飛んでいる。ふと道路わきに設置された花壇に目をやると、クマバチが花の蜜を吸っている。クマバチが刺さないことは知っている。虫が蜜を吸っているところなんて地元ではなかなか見られない。なのにどうして、どうにもこうにも歩く速度が速くなるのだろうか。

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やっとこさ、四條畷神社までたどり着く。階段を上ると、左手に社殿が見える。尊皇の勇士に中指を立てようと思った刹那、眼前をスズメバチが飛びぬけた。もう泣きそう。あんまいじめんといてください。ネトウヨバチの妨害を受けつつ見事参拝を決行するも、バイトのウヨバチは増える一方。それでも勇気を振り絞り、山にの、登りますよ...

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 ここを進めば、木沢長政や三好長慶と同じ景色が見られ...見られ...見...

 登山道の階段には、クソでかいムカデが私を待ち構えている。数メートル先の木の葉っぱの上にはカマキリがこちらを威嚇している。しつこいスズメバチが私の耳元を飛び去り、いつの間にやら肩によく分からない虫が引っ付いていたことを確認し、Vターン。肩の虫を払い落としつつ、全速力で四條畷駅への逃走を開始した。もう無理。やってられん。大都会だと思っていたが、やはり大坂は化外の地であった。トンボを払いのけ、クマバチをすり抜け、蚊に刺された腕に薬を塗りながら、なんとか電車にたどり着くことができた。何故か時間に余裕ができたので、梅田でうどんを食す。DSC_2182
 大坂の中心地なだけあって、建物を見上げれば首が折れてしまいそうな大都会である。地下街に行けば、涼しいし昆虫のこの字もない。さすが大阪は文明の中心地だな!やはり田園や自然なんてモンはカスである。そうした思いを改めて胸に湛え、次の目的地へ向かった。

 次なる目的地は堺である。三好一族とも縁深い自治都市で、ゆかりの寺が存在する。そのうちの一つが顕本寺。冒頭で三好元長が自害した寺である。降りる駅を間違え、かなりの距離を歩く羽目になるハプニングも、結果として堺の街の様々な見所さんを巡る機会になり、旅の偶然性を体感する。古墳にイキって中指を立てたり、安井町(=道頓)という地名にはしゃいでいるうちに、目的地にたどり着く。DSC_2190
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 寺内は閑散としており(歴史おたくが行く寺なんてどこも閑散としてるが)、檀家の墓が立ち並ぶ。本殿は結構派手な見た目をしているが、これは顕本寺血天井(元長が切腹の際に無念腹と呼ばれる内蔵を引っ張りだす方法を取ったことに由来する)を意識しているのだろうか。
 寺内には三好一族の墓が立ち並ぶほかに、高三隆達の碑石が設置されており、新たな知見となった。

 さて、ここまで来てふと私はこう思った。
「この旅行ルート、三好元長の敗走から自害までの流れを辿ってることにならないか?」
三好元長飯盛山城の戦いに敗れた後、顕本寺に逃走し、そこで自害している。私も飯盛山から顕本寺に移動し(敗走したところまで同じ)ている。

 元長が顕本寺に移動した理由は、彼が法華宗の信徒であったからという他に、堺が三好氏の本拠の阿波に渡海する役割を果たしていたからだと考えられる。三好家は畿内で情勢が不利になると堺から阿波に撤収し、有利と見ると再度堺から上陸するといった作戦を繰り返しており、元長もその選択肢を意識していた可能性がある。

 ......やってみたいな。名誉三好家臣として、阿波(徳島)から堺に上陸するの。



公判に続く