享禄5(1532)年、6月。細川晴元政権下における、三好元長と木沢長政の対立は臨界点に達し、木沢長政の居城、河内飯盛山城は三好元長・畠山義尭(長政の元主君)連合の軍勢によって包囲された。細川晴元は長政救援の兵を送るが、包囲を解くことは叶わなかった。追い詰められた晴元・長政は、山科本願寺に一向一揆の蜂起を要請。集結した総勢3万の一揆軍は連合軍の背後を襲撃し、壊滅させた。義尭は南河内で自害し、元長は和泉の顕本寺に逃走したが、一揆軍に包囲され自害した。
時は流れ、令和3(2021)年9月、成年皇族となった私は大阪府大東市、四條畷市にまたがる飯盛山に訪れていた。畿内の要所に位置し、前述の戦いの現場となった飯盛山城の跡地を、何度も何度も踏みしめたいと考えていたからである。学研都市線、というカッチョいい名前の路線に乗り、四條畷駅で下車。
あの四條畷の戦いが行われたことで有名な地である。駅から出ると、目的地の飯盛山は眼前にそびえている。
がぜん気分は急上昇、まずはふもとの四條畷神社を目指して歩く。
さて、私は虫が大の苦手である。昆虫の画像も触れることができない。それを知った知り合いが昆虫図鑑を広げて追いかけてきた時、本気でそいつにパンチをしてしまったレベルである。そんな私にとって、飯盛山までの数百メートルの道程には既に不穏な空気が漂い始めていた。なんかここ、トンボ多くないか?9月だから当然ではあるんだけど。20mごとに5.6匹は飛んでいる。ふと道路わきに設置された花壇に目をやると、クマバチが花の蜜を吸っている。クマバチが刺さないことは知っている。虫が蜜を吸っているところなんて地元ではなかなか見られない。なのにどうして、どうにもこうにも歩く速度が速くなるのだろうか。
やっとこさ、四條畷神社までたどり着く。階段を上ると、左手に社殿が見える。尊皇の勇士に中指を立てようと思った刹那、眼前をスズメバチが飛びぬけた。もう泣きそう。あんまいじめんといてください。ネトウヨバチの妨害を受けつつ見事参拝を決行するも、バイトのウヨバチは増える一方。それでも勇気を振り絞り、山にの、登りますよ...
ここを進めば、木沢長政や三好長慶と同じ景色が見られ...見られ...見...
登山道の階段には、クソでかいムカデが私を待ち構えている。数メートル先の木の葉っぱの上にはカマキリがこちらを威嚇している。しつこいスズメバチが私の耳元を飛び去り、いつの間にやら肩によく分からない虫が引っ付いていたことを確認し、Vターン。肩の虫を払い落としつつ、全速力で四條畷駅への逃走を開始した。もう無理。やってられん。大都会だと思っていたが、やはり大坂は化外の地であった。トンボを払いのけ、クマバチをすり抜け、蚊に刺された腕に薬を塗りながら、なんとか電車にたどり着くことができた。